教師や親は、子どもに対して「努力は必ず報われる」なんて言うが、この言葉にはどのような根拠があるだろうか。
私自身は、学生時代の就職氷河期に就活で大きくつまづき、20代は年収250万円から昇給なしという絶望を味わった。
そこから地味な努力をコツコツ重ねたこともあり、年収は1100万円までアップした。
努力しなければ、ずっと低年収のままだったと思う。
しかし、「努力は必ず報われるのか」かと聞かれたら、そこまで言い切れるほどの自信はない。
自分の子どもには無責任に「努力は必ず報われるから頑張れ」と言葉を投げかけないようにしている。だってウソになるから。
イチローの成功の影には100人、1000人のイチローがいる
世の中で成功者と呼ばれる人の多くは、「運が良かったから」とその成功の理由を説明することがある。
当然、人よりも努力してきたはずなのに、運のおかげと言うところが興味深い。
なぜ努力によって成功した本人が、運のおかげと言うのか。
それは努力しても報われないことがあることを知っているからだろう。
つまり、図にするとこういうことだ。
努力をしなければ、成功はできないが、努力をしたら必ず成功するわけではないのだ。
彼らは努力をしたうえで運にも恵まれたのだ。
大リーガーのイチローの成功の影には、同じように努力したけれど大リーガーはおろか、プロ野球選手にもなれなかった別のイチローが100人、1000人いるのだ。
因果関係を逆に捉えると危険
正確な情報が求められるメディアでさえ、しばしば相関関係にすぎないことを因果関係があるかのように報道する。
我々もよく意識しないと原因と結果を混同してしまう。
因果関係を逆にして捉えてしまうのだ。
小学生にも理解できるようにひとつ例を出そう。
アイスが売れたからといって、気温がぐんぐん上がり出すことはない。
気温が上がって暑くなったから、アイスが売れたのだ。
この論理は誰だって理解できるだろう。
同様に、成功するには努力が必要だが、努力をしたからといって必ずしも成功するわけでないのだ。
正しい努力をした者が成功する?
一方で、こんなことを言う人もいる。
正しい努力をした者が成功するのだ。
言い換えれば、「間違った方法でいくら努力しても成功にはつながらない」と言いたいのだろう。
たしかにもしあなたが学生であれば、期末試験に向けていくら勉強したところで、出題範囲を間違えて勉強していれば結果にはつながらないだろう。
試験範囲を正しく把握したうえで、自分が苦手としている分野を徹底的に学習することで、点数は向上していく。
その意味で、「正しい努力をすれば成功できる」という主張は理解できる。
ただし、試験勉強のように「正しい答え」が必ず存在していれば良いが、ビジネスの世界は「決まった答え」など存在しない。
社内では、マネジメントができない上司、限られた予算、プロジェクトの人材不足といった環境の中、社外では激しく競合するライバル企業、移り気な消費者、予告なく方針を変更する政府の動きを読みながら、仕事を上手いこと進めなければならない状況だってあるだろう。
そんな無理ゲーのような状況では、どこにも「正しい答え」などなく、誰にも正解がわからない。
こんな時にもし海外帰りのMBAの知識で簡単に解決できるなら、企業はもっと多くの人材を積極的に経営大学院に送り込んでいるはずだ。
唯一、結果が出た時にだけ、そのプロセスが「正しい答えだった」と賞賛されるのだ。
しかしこれを真似たところで、環境が異なるビジネスシーンでは全く役には立たず、また新しい答えが要求されることは言うまでもない。
努力を続けた者だけが、成功への招待状を受けることができる。
「努力したからって成功できるかなんてわからないよ」
こんなこと言われたら、努力すれば成功できたはずの人さえ、努力する気力が失せるだろう。
だから親や教師も、確証を得ないまま、子どもに「努力は必ず報われる」と呪文のように投げかけて、やる気にさせようとする。
しかしそれは悪いことではない。
そうやって親や教師に騙されて努力をするか、もしくは努力しても成功できない可能性があるという現実を噛みしめながらも努力を続けた者だけが、成功への招待状を受けることができるのだから。