渋谷駅ハチ公口から徒歩で10分ほどの路地に、メディアでたびたび取り上げられる人気の居酒屋がある。
そのお店の名物は、食事というよりもむしろ開店前に公開で行われる「朝礼」になっている。
その「朝礼」では店員が生き生きと夢や目標を大声で語るのだが、これを楽しみに訪問する客がいるくらいである。
いざお店が開店すると、スタッフはどの客に対しても、ハイテンションで接客を行う。
誕生日の客がいると、サプライズイベントを催し、客から驚きと喜びを引き出そうする。
人気店なので従業員からすると、他の居酒屋と比べても、仕事はハードで忙しい。
都内の人気店だし、仕事もハードなので、アルバイトの時給は高めに設定されているのかと思うと、意外なことにそれほど高くない。
いや時給1000円未満からのスタートなので、ライバル店と比べると、むしろ低いくらいだ。
今どき時給1500円以上の飲食店の求人だって珍しくない。
しかし、時給は低くて忙しいというのに、この居酒屋で働きたいという若者は多く、アルバイト希望者は後を絶たないという。
経営者が築いた、よく出来たシステム
アルバイトの多くは学生だ。
メディアで紹介されるほどの有名店なので、学生が集まりやすいというのもあるが、一番の集客効果は、「このお店で働くと人間力が磨かれ、将来の夢を実現させるべく成長できる」というコンセプトだ。
お店側はメディアに積極的に出ることによって、こうしたいわゆるブランドイメージ戦略に成功している。
つまり、給料というのは二の次というわけだ。
これは経営者からしたら、とてもよく出来たシステムだ。学生のモチベーションを上げるのにお金はかからないのだから。
経営者が若者の労働力を不当に搾取している?
「それでも問題ないだろう。本人たちが進んで応募してきているのだから」と言う人もいるだろう。
私も自分が学生だったら、同じように考えていたかもしれない。
しかし自分自身、社会人として経験を積み、採用側となってアルバイトや派遣社員と接するようになると、違った角度からモノが見えてくる。
つまり、前述の居酒屋の例は、若者の自己実現をエサにして、経営者が労働力を搾取しているという図式にもとれるのだ。
教育社会学を専門とする東京大学教授の本田由紀氏は、雑誌『世界』(2007年3月号 岩波書店)にあてた論文『<やりがい>の搾取――拡大する新たな「働きすぎ」』で早くからこの問題を指摘している。
これまでとは違う、新しい「働きすぎ」が広がっている。「べつに仕事人間でも組織人間でもないのに…」、「好きなことを仕事にしているだけなのに…」、「個人としての自由な働き方を大事にしているのに…」、ボロボロになるまで働きすぎてしまう。
なぜか。ここには、自己実現の罠とでもいうべき巧妙なからくりが、働かせる側によって仕事の中に、職場の中に、構造的に埋め込まれているからだ。
元々そこまで仕事がやりたいわけでもなく、夢もこれといってなかったのに、自分でも気づかないうちに仕事と人生が重なってしまうわけだ。
経営者からすると、いかにして能動的に働かせることができるかがテーマなわけだから、自己実現の罠をいたるところにかけておくのだ。
本田由紀氏は論文執筆時の著者メッセージとして以下の指摘もしている。
ある居酒屋チェーンの経営陣のひとりは、「うちはお金を稼げない仕事ですが、夢が持て、自分の成長を感じられます」と明言しています。
ある教育産業では、塾講師を雇う際の面接で、応募者が給料や休みなどの労働条件について口に出したら採用しないと言います。それでいいのでしょうか。
〈やりがい〉があるように見える仕事とは、実は低賃金や不安定な雇用であるにもかかわらず、きわめて長い労働時間やエネルギーを労働者から調達しようとするために、巧妙にしくまれたものであるかもしれないのです。
それに踊らされてはなりません。仕事のからくりを見抜き、同じ職種や職場に従事する者が協力し合ってそれに対抗していく必要があるのです。
文中の「うちはお金を稼げない仕事ですが、夢が持て、自分の成長を感じられます」という言葉。
似たようなこと聞いたことあるなと思ったら、私が出版編集プロダクションで低賃金(年収250万円)で働いていた時に、当時の社長がよく使った言葉だった。
いやその社長は、決して悪い人ではなかったけど、給料に不満を持つ社員に対して、言い訳のように「この仕事は好きじゃないとやっていけない。金稼ぎを優先するなら続けられない」と発言していた。
社長自身もそれほどお金があるようには見えなかったので、搾取されたという意識はなかったが、言い訳に逃げて経営者として従業員の給料をアップさせるような努力はしていなかった。
そういう意味では、社長は無自覚ではあったが、私たち社員の労働力と時間を低賃金で搾取していた。そして私たち社員もそれを許してしまっていた。
狙われるのは無知な若者
医師の日野原重明氏は全国の小学校で「いのちの授業」を行っていたが、そこで小学生から「いのちってなんでしょう?」と聞かれた際に「いのちとは、君たちの持っている時間です」と説明したという。
その通りだ。人間にとって時間ほど大事なものはない。
時間だけは誰に対しても平等に与えられ、それをどう使うかでその人の人生は決まってくる。
そう考えると、自己実現をエサにしながら、従業員の貴重な時間を奪い取る経営者の責任は決して軽くない。
従業員の立場でありながら、「やりがいはお金には換算できない。給料が低くて長時間労働だが、私はこの仕事が好きだ」と主張する人だっているだろう。
本人が自分の置かれた状況を理解したうえで自ら選択しているなら確かに問題はない。
ただ、こう言ってしまうとなんだが、社会の仕組みを全くと言っていいほど理解できていない学生や若手社員もいる。
20歳前後の若者ならそれもしょうがないのだが、そうした無知につけこんで、経営者が自分探しをしているような若者に「やりがい」を与えてやる代わりに、彼らの時間を奪い取っているという事実もあるのだ。
洗脳研修に送り込めば立派な企業戦士へたちまち変貌
ブラック企業であれば、そうした若者を「洗脳研修」に送り込んでしまえば、研修から帰ってきたときには企業戦士として変貌してしまうのだから、楽なものだ。
「洗脳研修」というのは、一定期間泊まり込みで大声で自分の弱点を言わされたり、民家のトイレ掃除をさせられたりする民間企業が提供しているサービスだ。
入社の季節になると、テレビ番組で特集しているので知っている人も多いだろう。
この研修は一週間程度の期間で一人20万円程度の料金をとるので、かなり高い。それを会社が経費として支払い、従業員を送り込む。
実際にそれだけのお金を支払っても効果があるから、ブラック企業の経営者の間で評判になって、洗脳研修には次から次へと従業員が送り込まれてくるのだ。
お金は誰の財布に入っていく?
仕事の対価は賃金という形で支払われるべきだ。
経営者は、「やりがい」や「夢」と言ったきれいごとで濁すのではなく、若者から労働力の提供を受けるのなら、正当な対価として収益に見合った賃金を支払うべきではないか。
冒頭で紹介した居酒屋の食べログの評価を見たら、人気店にもかかわらず、「3.08」と低かった。口コミでは「コスパが悪い」というコメントが目立っている。
従業員を低賃金で雇い、食材の原価も抑えているとしたら、そこで生まれたお金は誰の財布に入っているのだろう?
美容師業界も同様だ
飲食業界と同様に低賃金がしばしば問題とされるのが美容師業界だ。
スタッフは低年収にもかかわらず、某チェーン店の社長はものすごい豪邸に住んでいる。
薄料にもかかわらず、華やかなファッション業界のイメージあるので、スタッフが集まってくるから人手には困らない。
そして実際に雇われ美容師として働いてみて、労働環境に疑問を抱くようになる。
私が行きつけの美容院では、仕事で使用する10万円近くする業務用のハサミを、従業員が自腹で購入することになっているという。
聞くと、どの美容院も同じような状況らしい。
手取り月収が20万円にも満たないのに、これはいくらなんでもおかしいだろう。
あなたはそれでも「本人たちの意思で働いているのだから勝手でしょう?」と言えるだろうか。