コツログ

得意分野である投資や節税、出版業界ネタなどを共有します。

読者「電子書籍なのになんで安くないんだ!」→出版社「いや電子の方が原価が高いし……」

読者「電子書籍なのになんで紙と同じ値段なんだ!安くしろ!」
出版社「すいません。社内で検討します(いや電子の方が原価が高いし……)」

 

出版社で電子書籍の制作や販売に携わっていたら、誰もが上記のようなやり取りを経験したことがあるはずだ。

anond.hatelabo.jp

上記エントリーに対して「もっと安くできるだろう」という意見もあがっている。

私はこれまで出版社の編集者として、紙の書籍も電子書籍にも携わってきたが、正直なところ電子の方が原価がかかり、原価を回収するのも困難だ。

紙の書籍の場合、1000円の本を初刷り1000冊で販売する際の内訳は以下になる。

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①~④の合計は1000円だ。
ここでおかしなことに気づく。

あれ、利益が出ていない……?

そう、①~④はすべてコストである。
初刷りと言われる最初に印刷所で刷る分の1000冊を販売するだけでは利益は出ないのだ。

出版社の利益は、1000円のうち、④の350円の固定費を払い終わった後に発生する。
つまり初刷り1000冊を売り切った以降、増刷することで損益分岐点を超え、ようやく利益が出るのだ。

そのため増刷をしないと出版社は儲からない。
儲からない商品は、そもそも企画にならないから、出版社では社内の企画段階から増刷することを前提に目標部数を設定して、社内ドキュメント上、利益が出る形にして企画を通すことになる。

ところが、出版不況のなか、売れて増刷される書籍は業界全体の3割程度なので、増刷されない7割分は赤字として積み上がることになる。
こうして多くの出版社は赤字決算を毎期繰り返す。

電子書籍は市場が小さくマンガしか売れていない

それでも紙の場合はビジネスモデルが成熟しているので、まだ売りやすい。
なんやかんや言って全国いたるところにあるリアル書店が奮闘し、読者をつなぎとめている。

ところが電子書籍の場合は、まだほとんどマンガしか売れていない。
マンガ以外の文芸書やビジネス書、実用書などはまったく売れていない

売れないとどうなるかというと、④の固定費を売上が上回れずに利益が出ない。
さらに電子書籍サービスは、紙の書籍とは別途に電子化するために生じるコストがある。紙の書籍をPDFやEPUB(イーパブ)という電子フォーマットに変換し、管理しなければならない。これが⑤として新たに発生する。

そのため1000円の本を電子販売した場合の原価は以下のように合計1100円となる。
紙の初刷り1000冊販売してもまだ赤字の状態だ。

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ここで読者の立場であれば以下の疑問が出るだろう。

電子書籍だから、①流通マージンや③製作費、④社内人件費はかからないのでは?」と。

しかし残念ながらどれもコストが生じてしまう。

電子書籍をAmazonキンドルや楽天Koboで販売する場合は、リアル書店と同等のマージン(手数料)を要求される。
Amazonなんて外資だから、どこまでも強気だ。それで国内の出版社としばしば軋轢が生じている。

Amazonキンドルや楽天Koboを通さずに、App StoreやGoogle Play ストア直下で電子書籍を販売したとしても、同じく3割(300円)の手数料をAppleやGoogleに支払う必要がある。

電子取次に依頼すると複数の電子書店にコンテンツを配信してくれて楽だが、これはこれでもちろん取次に対するマージンが発生する。

自社で電子書籍ビューアを提供しようものなら……

一方、Amazonキンドルや楽天Koboなどの電子書店や電子取次に商品を提供せず、自社で電子書籍ビューアを提供し、サービスを展開する場合は①流通マージンは発生しない。

ところがこれは電子書店を利用するよりさらに困難な選択肢になる。
電子書籍ビューアの多額な開発コストに加え、サーバー等の維持コストが収益を圧迫する。

さらにiPadでもiPhoneでもXperiaでもGalaxyでも同じようにユーザーが電子書籍サービスを利用できるように、自社で端末を購入して専門部署のスタッフが何度も検証を繰り返す必要がある。

販売した後も大変だ。ITリテラシーが低いユーザーもいるので、新たに専用のお問い合わせ窓口を設置して、ユーザーサポートをしなければならない。人を雇うか、外部のサポート代行サービスを利用するか、いくつか選択肢はあるが、どちらにしろお金がかかる。

EPUB製作には時間とコストがかかる

一方、③製作費については、たしかに電子の場合「紙代」はかからない。
ただしEPUBのような電子書籍データを作成するのは、従来の紙の組版よりもお金がかかる。

電子ビューアで文字サイズを読者が大小へ変更した際にも、きれいに図表(グラフや表組み)が画面にはまるようにしなければならない。これはデザインが固定された紙と比べるとかなりやっかいな作業だ。
そもそもEPUB制作の経験豊富な技術者を業界で探すのは難しいのが現状だ。

各出版社は電子部門を新たに設けて人を雇っている

最後に④社内人件費についても説明しておこう。
たしかに紙の書籍を電子化するだけでは、編集者の仕事は限定される。すでに著者からいただいた原稿は校正が完了している状態で、残作業は限られている。

しかし紙の編集者はあまりに多忙なので、電子化の手続きなんかに関わっている暇はない。そこで各出版社は電子部門を新たに設けて、人を雇い、何とか対応している。

電子部門の社員の仕事は、電子書籍化にあたって発生する雑務のすべてだ。
著者との契約の結び直しや、電子化にあたって引用資料の再許諾、コンテンツの書誌データの作成など細かい仕事は山ほどある。

あなたはそれでも電子書籍を安くしろと言えるだろうか?

こうしたいくつもの難題を抱えながら、苦労してようやく電子書籍を制作しても、売れなければ出版社はまったく利益が出ない。
いや実際に電子書籍市場はまだまだ小さいので、利益なんか出やしない

だったら電子書籍なんか作らない方が良い。
出版社のお偉いさんはこう考えて、つい最近まで日本の出版社は電子書籍サービスの展開を出来ずにいた。
将来のためにしたくても動けなかったのだ。ただでさえ、出版不況でお金がないのに、自らお金をドブに捨てるようなことはできない。

しかし世の中のあらゆる分野がすさまじいスピードでデジタル化しているのに、さすがに出版業界だけが何もしないわけにはいかない。
過去2~3年間、出版社はついに重い腰を上げて、電子書籍に本気で取り組んでいる。

前述したように、電子書籍はコストがかかるので出版社も体力が消耗しているが、紙の値段よりも定価を高く設定するのはさすがにできないので、せめて紙と同じ値段にしているというわけだ。

さあ、あなたはそれでも冒頭のように「電子書籍なのになんで紙と同じ値段なんだ!安くしろ!」と言えるだろうか。

 

【追記】

・電子版の原価に「印刷」が入ってしまっていたので、図表を一部修正
・よろしければ続編として下記エントリーもどうぞ

www.kotsulog.com

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